2018年12月12日水曜日

タイでの出会い

 余り他人には言ってないですが、
タイ人の彼女との出会いについて書きます。
何故?記事にするかといいますと
実は癌で亡くなって5年が過ぎました。
28歳という若さでした。
初めて生き別れを経験したので
同じ様な境遇の方等、励みになりたいので記事にします。

2012年3月、初めて渡タイした時に出会いました。
バンコクは最初3日間の予定でしたのでタイ人の友人のお姉さんの所で
お世話になり、お姉さんが経営してるカラオケ屋さんで彼女は働いてました。




一目惚れです😍
当時はタイ語が話せなかったので
タイ語の本を使って電話番号を聞いたりFBアドレスを教えあったりしました。

彼女「明日は何処に遊びに行く?」

「明日はスコータイに行きます」

彼女「だったらなんで?電話番号なんか聞くの?」

「1週間したらバンコクに戻ってくるのでその時会いましょう」

といって翌日、当初の目的通り
スコータイの友人の田舎に遊びに行きました。
思いの外、田舎遊びが楽しかったので時の経つのも忘れてましたら
彼女から電話がありました。
タイ語が解らない僕は友人に電話を任せてましたが

友人「オマエ、ヤッたやろ?」

「ヤッてないょ」

友人「バンコクに1週間いてるから私が全部面倒みますって約束しましたって彼女が言ってる」

友人「明日、バンコク行きのバスに乗せるから行ってやんなさい!」

タイ人の友人とはかれこれ20数年程付き合いしてますがタイ人の友人にはその部分は信用がありません(笑)😂

翌日スコータイからバンコク行きのバスで約600kmの移動
バンコク都内の北の方にある
モーチットというバスターミナルに着きました。
野球場位の広さがありましたが無事、簡単に再会できました。
これが付き合いの始まりで
その年のロイクラトン
彼女の誕生日でもあったので
11月に来タイ




年明けに頭水性という病気になり癌が発覚しました。
2013年7月に癌の手術をし少し良くなる傾向がありました。



写真は2013年8月の写真です。
随分と痩せましたが元気なので一安心してました。
翌月にはタイに来てしまうし一緒に住む事も決めてました。
実際、1ヶ月後にくるとが再発!



再入院!
良くなる事を信じて僕は就職活動と病院通いの生活。
一旦は就職しましたが日本人が経営する良く無い会社で彼女が亡くなる頃はお金が無くなりかけてました。
(話は変わりますがバンコク辺りに住んでる日本人は気を付けて下さい!)
彼女の生力が無くなる頃は相談する人も居なかったので逃げ出したかったです。
最後の日が来ました。
彼女は意識が朦朧としてるのに

只、僕の名前を呼び続ける
僕は離さない手を握り続ける事しかできませんでした。



闘病中は水素水を買ったり
抗癌剤の話もしましたが
彼女自身の人生の選択
なんですよね。
頭水性から始まった闘病生活
辛かったと思います。
最後まで一緒にいれた事を感謝してます。

今回も読んで頂きありがとうございます。

弥栄





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