2019年1月18日金曜日

あれから24年

 阪神大震災から24年経ちました。
知人からのLINEで思い出したんですけど、
僕は当時29歳でした。
その前日、和歌山のタイ人のスナックでお酒🍶を呑んでタイ人のマンションで泊まってました。
朝方凄い揺れと共に目が覚めましたが酔っ払ってたので2度寝をしましたが2回目の揺れで目が覚めました。
大阪に戻らないといけなかったのでJR和歌山駅に行くと電車🚃は既に止まってたのでレンタカー会社に行くと車🚗は1台もありませんでした。
トボトボ和歌山駅に戻るとそこに1台のタクシーがいてたので
僕 関空に行って下さい。

と言うと

運転手 今、羽曳野から帰って来たんですけど車、動かないですけど良いですか?



聞かれましたが

僕 羽曳野迄幾らでした?

と聞くと

運転手 ¥85000です。
関空迄だったら¥50000も有れば行けるでしょ?

多分•••••?


当時、偽物のパスポートで韓国から来たミナミのホステスと付き合ってまして、前日、入国管理局から電話☎があり明日、韓国に送り返すのであいたかったら関空の入管に来て下さい。
という連絡でした。
僕は当時パチプロで月収は¥1000000位ありました。
毎日、酒浸りの中で少しは情みたいなモノがあったのか会いに行きました。
離婚してどう?生きて良いのか?
彷徨う様に当時は生きてました。
離婚家庭に育った僕は1番してはイケないと思ってた自分を許す事が出来なかったんですよね。
渋滞して5時間程掛かって関空に着きました。
神戸の方が黒煙と炎になってるのがハッキリ見えましたが現実を受け入れられなく入管に行き
彼女に会うと現実味が出てきました。

彼女 また、大阪に来たいけど会える?

僕 来たらエエちゃう


短い会話で終わり外に出ると同じ景色が目に入り
アパートに帰る事にしました。
乗って来たタクシーが待っててくれて

運転手 今、電車🚃動いてるので泉佐野迄送りますょ。


と言ってくれました。


駅に着くとメーターが動いてないので

僕 幾らですの?

って聞くと

運転手 お客さんお金は要らないです。

僕 それはアカンでしょ!

って言いましたが

運転手 私も家🏠が心配なので帰りますので対でです。
今日は充分頂きました。

僕 ありがとうございます。

と言って電車🚃に乗り帰宅しました。帰りにタバコが欲しかったので自販機に行くと2階から壁が落ちて買えませんでした。
コンビニでタバコを買い弁当も?
何も無い!!!
アパートに帰るとTVとタンスか半分位ズレてて人差し指で落とせる位のバランスでした。
TVの上に飾ってたタイの民芸品の人形は落ちて首が折れてました(笑)
TVを付けると延々と神戸の燃えてる画像が•••••
お腹が空いてたので外にでましたが飲食店はありませんでした。

街か死んでる!

取り敢えず寝ました(笑)

次の日の朝
ご飯を食べる事が出来なかったので友人の母親の所に行ってご飯と漬物と味噌汁を頂きました。
今、考えるとありふれたモノの中で生きてると気付かない事沢山ある。
生かされてる事、生命があり命の使い方
考えないとイケない!
改めて生きていかなと!
と気づきました。

今回も最後まで読んで頂きありがとうございました
m(_ _)m

弥栄

0 件のコメント:

コメントを投稿

コメント。質問